とうとう念願のアブ・シンベル神殿にやってきました!
↑写真の左が大神殿、右が小神殿。
今から約3300年前、ラムセス2世は、ヌビアと呼ばれる地域に大神殿を建てました。自身の偉業を誇示するために建てた大神殿と言われています。
そして、小神殿は第一王妃ネフェルタリのために建てたもの。
これらの神殿があるのは、この↓丘の反対側。
元々はこの場所にはなかったアブ・シンベル神殿。
1960年アスワンハイダムの建設計画が持ち上がり、アスワンより上流にあるナイル河畔の神殿がダム湖の底に沈むことがわかりました。これらの貴重な文化遺産を救おうとユネスコが声をかけ、世界60か国以上が協力して、この巨大な岩窟神殿を移設したんです。
千個以上のブロックに分けられ、60m上方へ移動。
この運動を通して、遺跡は人類共通の宝であるという考えが広まり、「世界遺産」という制度ができました。
なんとも凄いことです。
アスワンハイダムによってできたナセル湖を右に見ながら進むと・・・
まずは大神殿。
正面には、ラムセス2世の若年~壮年の像が4体。高さは20m!
正面、通路右側のレリーフ。上下エジプトの支配者であることが示されています。
中に入ると・・・列柱室。オリシス神の姿をしたラムセス2世の像が左右4体ずつ並んでいます。
ラムセス2世の戦う姿のレリーフ。
こちら↓は、戦車に乗るラムセス2世。弓が非常に上手く、相当早いスピードで弓を射ったそうで、その様子が”弓がニ重に” ”腕が二重に”描かれることにより表現されているとか。
「カディシュの戦い」でヒッタイトと戦い、劣勢とみるや、世界初の講和条約を結んだのもこのラムセス2世。
そして、一番奥には至聖所。
右から、ラー・ホルアクティ、ラムセス2世、アムン神、プタハ神。
人間のラムセス2世が神と並んでしまっているのが、凄いところその1。
その2は・・・
2月と10月の年に2回、入り口から朝日が差し込み、これらの像をテラス仕掛けになっています。しかも、一番左のプタハ神は闇の神であるため、ここには朝日が当たらないとか。
古代エジプトの数学の知識が相当なものでだったのがわかります。
さらに面白いのが・・・もともとあったアブ・シンベル神殿から移設の際に少しずらして建てられたそう。その理由について、いろいろ言われているようなのです。
本来はラムセス2世の生まれた日(2月22日)と王に即位した日(10月22日)にこの現象が起こるように作られていたのですが、大規模な引越しにより少し角度がずれ、正確に2月22日と10月22日にならない年もあるとか。
私が見た中で一番有力なのはこの説。エジプト考古学者の 先生のお話では・・・
ユネスコの一員がこの計算をやり直してみたら、古代エジプト人の計算間違いが見つかった。そこで、わざとずらして移設してみたら、やはり、古代エジプト人の計算の方が合っていた、というもの。
もう動かすことはできません。とほほな話です。なので、あえて正確な情報が出回っていないのかな、と思ったのは私だけでしょうかねぇ。
正面のラムセス2世像の足元には、愛妻のネフェルタリや、子供たちの像が。ラムセス2世は300人の奥様、100人の子供がいたそうな。
そして、ヒッタイトとの講和のため、ヒッタイトの王女を妻にしたこともあります。そのことも、この↓壁の四角枠の中に書かれています。
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では、その大神殿から右手120mほどのところにある小神殿へ。
ラムセス2世が結婚25周年を記念して、第一王妃ネフェルタリの為に建てられたものです。
正面の像の高さ10m以上。4体がラムセス2世、2体がネフェルタリの立像。左右それぞれ、ラムセス2世にはさまれるように立っているのがネフェルタリ。王妃の左右を王が固めています。
さらに、王妃が王と同じ高さで並ぶというのは非常に珍しいそう。
それだけ王妃を愛していたのでしょうかね。
入ってすぐの列柱にはハトホル女神が刻まれています。
こちら↓は雌牛に過信したハトホル神に捧げものをするレリーフ。
大神殿も小神殿も、写真撮影には追加の料金が必要です。
古代エジプトの神々のこと、また象形文字の意味がわかれば、より面白く遺跡を見ることができそうです。
それだけでなく、エジプト関連の映画を見るとき、実はこの神々の特徴がストーリーに影響し、登場人物や虫さえも意味がある存在であることが今更ながらわかりました。
スカラベ(ふんころがし)はよく映画に出てきますよね。古代エジプトでは決して悪者ではないのです。