あの日から

今日で、三条の水害から5年となります。
月日がたつのは早いなって毎年感じます。
当時、時間が合って片付けの手伝いにいったお宅では
胸のあたりまで、1階が水没していました。
壁にはくっきりと水面があった場所を示すライン。
これを見るたびに、あの日のことを思い出してしまうんだと思います。
まだ梅雨明けしていない新潟。
ゲリア豪雨がなければいいのですが・・・。

そして、今週の(木)7月16日、中越沖地震から2年となります。
10日には上中越沖を震源とする最大震度1の地震がありました。
規模は小さいですが、同じような場所と思うと、ちょっと心配になります。
中国でも大きな地震がありました。
人間が止めることの出来ない大地の大きな動き。
でもそれに備えることはできます。
また、その知識や意識の高さを新潟県人は持っています。
けっして他人事ではないです。
今のうちに備えを、ですね。

その16日、今年も柏崎市の産業文化会館から特別番組を生放送することに
なりました。
平日なので、なかなか足を運ぶことは難しいと思いますが
ぜひラジオに耳を傾けていただければと思います。
そして、メッセージでいろんな想いを届けてください。
私が現地から代読させていただきます。

放送の下見に柏崎に出かけた日、
商店街では、短冊にいろいろな想いがしたためられて風に揺れてました。

新潟にきて14年目。
新潟にきてすぐ、1998年8月3日新潟市・旧笹神村で大水害がありました。
新潟市内も車のタイヤが隠れるほどの水が道路上にあふれて
朝早く出社するよう電話が鳴ったのを覚えています。
放送スタッフは通常の番組を変更して情報収集と放送。
全員が短パン、Tシャツという格好だったのも印象的です。
放送以外のスタッフは、全ての出入り口に土嚢を積みながらという状況でした。

そして、2004年7月13日三条の水害。
2004年10月23日中越大震災。
2005年12月22日新潟大停電。
2007年7月16日中越沖地震。

実際に私が不便な状況になったのは98年の水害と、05年の大停電。
災害報道でいろいろな情報を間近で見聞きしていたにも関わらず、まったく違う現実でした。
便利な世の中になりすぎているからこそ、現実とのギャップがあるのかもしれません。

平和だと、忘れてしまうんですよね、そういうこと。