エルサレムの新市街から北上。
死海にほど近い砂漠の丘陵地帯にあるクムランへ。
途中はこんな景色。
1947年、死海のほとりワディ・クムランにあるいくつかの洞窟の中から
合計11個の土器製の水がめが見つかりました。
その中には、ヘブライ語、アラム語、ギリシャ語で書かれた
多くの文書が入っていました。
それらの文書は、紀元前2世紀からエルサレムの破壊が起きた
西暦70年の間に書かれたものであることが判っています。
・・・そんな説明VTRが日本語でも用意されています。
いわゆる死海文書が見つかったのは、
↓の中の岩の中にぽっかり空いた穴の見える洞窟のようなところ。
この穴も偶然少年が見つけたんだとか!
バックには死海。
イエスが磔刑に処せられたのは西暦30年。
エルサレム神殿がローマ軍によって破壊されたのが70年。
そのころに書かれたもの、そして唯一存在するもの、
感慨深いものがあります。
では、さらに北上。
再びパレスチナ自治区内へ。
世界で一番低い街、エリコへ。
ここが街の中心。
ここにあるのが「テル・アッスルターン」
1万年も前の住居跡や4千年も前の城壁の跡などが残されています。
旧約聖書では「シュロの街」と呼ばれているそう。
でも、すぐそばには今の市街地も迫ってきているとのことで
発掘が進められないのだとか。
この下にも、過去の遺跡がたくさんあるはずなのだそう。
さらにバスを走らせ・・・
こちらが遺跡の背後に立ちはだかるようにある誘惑の山。
イエスが荒野で40日の断食をし、
悪魔の誘惑を受けたといわれる場所です。
ハル・クルントゥル。
中腹のお土産屋さんで、ざくろジュースで栄養補給。
すっぱくて、おいしくて。
おなかももちろんゴロゴロしなかった。
さらにバスを走らせ、北上。
見える緑は、デーツの木。
中東でよくあるデーツという果物。
日本ではなかなか目にしませんが、
実はジュースにして輸入され、加工品に利用されているようです。
例えば、おたふくソースとかに。
バスの右側からの景色はこちら。
ヨルダン川の向こうに見えるのは、ヨルダン。
イスラエルのガイドさんからは
「昔は、向こうから多くの銃弾が飛んできて
農家の方は撃たれた」とか。
(後日、ヨルダン側のガイドさんからは
イスラエルが撃ってきたとの説明を受けることになり
・・・・なんとも・・・むむむ)
テロ警戒のため、この国にはとってもたくさんの検問が
そこここにあります。
平穏なときでさえ、この状況でした。
今は・・・と思うと・・・。