続いては、キリスト教の聖地へ。
途中、多くのお店を横目に・・・

路地脇の洞窟のような中にあるパン屋さん。

このお塩?をつけて食べるんだそうです。

つけなくても、非常に美味しいパンでした。しかも、あつあつ。

そこら中にこのパンが売られています。

まだまだ歩きます。


ようやく見えてきました
↓写真奥に見えるアーチ。
これは、ピラトが「エッケ・ホモ(この人を見よ)」と言って
イエスが嘲笑をあびたとされる「エッケ・ホモ・アーチ」
もとはハドリアヌス帝のエルサレム征服を記念した凱旋門なので
後年、キリスト教徒によって定められた場所だそう。

アーチの左側にあるのが
↓鞭打ちの教会。
ここで十字架を背負わされたイエスは、茨の冠を被せられ、
鞭で体を打たれます。

そして、アーチ右横の扉から「ヴィア・ドロローサ」
がスタートします。
ローマ総督ピラトから有罪判決を受けたイエスが
十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩いた道が「ヴィア・ドロローサ」
14のステーション(祈祷所)があります。
途中、あらゆる道に警備のための軍の方が。

3番目。十字架を背負って歩くイエスが最初につまづいた場所。

4番目。聖母マリアが十字架を背負ったイエスを見たとされる場所。
奥にはアルメニア正教の教会があります。

5番目。シモンがイエスの代わりに十字架を背負わされた場所。

この中は・・・

さらに歩きます。

6番目。ベロニカという名の女性がイエスの顔をハンカチで拭うと
イエスの顔が写し出されたとされる場所。

7番目。イエスが再びつまづいた場所。
スーク(市場)と交差する場所で、アラブの雰囲気が漂う場所です。

8番目。イエスがエルサレムの娘たちに泣くなと語った場所。

まだまだ歩きます。

第9ステーションから見た聖墳墓教会のドームと十字架の門。

9番目

内部は、ローマ・カトリック、アルメニア正教、ギリシア正教、
コプト正教、シリア正教によって共同管理されているそう。
多くの宗教が混在していて、区別がつきません。
ガイドに頼るのみ。
コプト教会の門。アラビア文字で書かれているのが印象的。


コプト教会の左の入口を入ると、聖墳墓教会の屋上に出ます。
左手にはエチオピア正教の聖ミカエル教会があり、
この一帯はコプト教会とエチオピア正教会が勢力を争っているそうです。

↑この手前のドームは
聖墳墓教会の地下にある聖ヘレナ教会のドーム。
↓こちらは、エチオピア正教の聖ミカエル教会の内部。

いよいよ聖墳墓教会が近づいてきました。

お土産屋さんもいっぱい。

こちらが聖墳墓教会。

第10ステーションは↑この写真の右端の張り出した建物。
イエスが衣を脱がされた場所。
11番目。イエスがここで十字架に架けられました。
フランシスコ会が管理。

第11ステーション。磔にされたイエスが息を引き取った場所。
第11ステーションの隣にありますが
↓こちらはギリシア正教会の管理。

祭壇の下に十字架が立てられたくぼみを示すプレートがあり、
巡礼者がここに頭を垂れています。
それをしたい方の、長蛇の列がすごかった。

↑塗油の石。
イエスの遺体が十字架から下された後、この石の上に横たえて
香油を塗ったとされる場所。聖墳墓教会の入口を入ると
まず目に入る場所であり、数多くの巡礼者がひざまづいて
この石に口づけしていました。
そして、第14ステーション。イエスの墓がある場所です。

イエスの墓に入るには1時間くらいの列を並ぶ必要があります。
この聖墳墓教会の内部は、キリスト教の各宗派によって
管理する場所が厳密に決められています。
うかつに管理外の場所を掃除したりすると、宗派間での争いに発展するよう。
さらに、この教会のすぐ隣にはモスクがあり、
イスラム教のお祈り時間を知らせるアザーンが聞こえてきました。
この様々な混在こそが、エルサレムなんでしょう。
カトリック系の学校に通っていた時代があったとはいえ
知らないことがいっぱいありました。
物語のロケ地巡りのような感覚でいる自分。
宗教、祈る、信じる ってどういうものなのでしょう。
日本の環境にいるからですかね。
    