ホーチミンの見どころ その2.
こちらは「市民劇場」
こちらもフランス統治時代1898年に建てられました。
ベトナム戦争中は、南ベトナムの国会議事堂として使われていたそうです。
今の姿は、当時を忠実に再現したものだそう。
中にはいってみたかったんですが、ちょうど公演がなかった。残念。
ベトナムはタクシー代がとても安いんですが、
街の作りがわかるにはやはり徒歩。
気温35度湿度70%の中、結構歩きました。
だからこそ ↓ こんな風景にも遭遇。
学校帰りの生徒たち。道端のcafe(といえる感じではないが)で
寄り道中。 どの国も一緒だね。
そして、こちらは「統一会堂」。南ベトナム政権時代旧大統領官邸と呼ばれたところ。
そう、有名なあの場所です。
1975年4月30日、解放軍の戦車がこの官邸の鉄柵を突破して
無欠入城を果たし、ベトナム戦争は事実上終わりました。
その時に入城した戦車と同じ型ものがあります。これはそのひとつ。
ひとつは中国製、もうひとつは旧ソ連製なんだそう。
お土産物屋さんにもたくさん戦車のおもちゃが売られているのですが
それはいずれも中国製戦車。付番を見れば、選別できます。
今は国賓を迎えるときや、会議に使われるそうですが
建物の地下には秘密の軍事施設が今も残されています。
ベトナム戦争中に使われた司令室や暗号解読室、放送局などがあり、
考えさせられました。
こちらが無血入城を果たした軍がベトナムの旗にかけかえたそのポール。
今は平和なきれいな緑の芝生が目に飛び込んできます。
そして、こちらは「戦争証跡博物館」
ここにはベトナム戦争の歴史がつまっています。
実際に使用された戦車や大砲、爆弾、当時撮影された写真など
生々しく展示されています。
目をそむけたくなるような枯葉剤による被害写真や、
記録のために残されたホルマリン漬けの赤ちゃん。
日本ではおそらく公開されないであろう写真が多々あり、
戦争がもたらすものの怖さ、恐ろしさを目の当たりにしました。
私がこの博物館にいた時間、たまたまかもしれませんが
欧米人が多かったです。
皆、どんなことを感じ、思いながら、これらの写真を見ていたんでしょう、、、
日本の広島では曲がったお弁当箱や溶けたガラス瓶など遺品は展示されていますが
人的被害の写真はそう多くはありません。
でもここではこんなものまで公開するのかという写真が多々あり、驚きました。
私たちは真実を見せられているのか、それを判別できる目を養っておかなくては
いけないのかも。。。
そして、このことも思い出しました。
小学校4年生の時、クラスにベトナムからの難民転校生が来ました。
彼は年齢より下の学年に入ってきたらしく、身長も学年一高い 少々いたずらっ子。
彼の背景にこれらの戦争があったことは当時何もわかっていませんでした。
自分はなんと呑気な小学生だったのだろうかと、今になって思います。
いろいろ考えさせられる場所でした。